加茂港

【概要】
住所:鶴岡市加茂

港勢データ(平成19年度)
酒田港 隻数:82隻
遊漁船 隻数:13隻
漁業経営体数:42体
漁  獲  量:612,601kg
生  産  額:171,891(千円)


【加茂港のあゆみ】
○概要
 加茂港は山形県鶴岡市の北西部にあり、天然の良港として発展し、江戸時代には庄内の一大門戸として栄えました。
 現在では、主に地域の水産業の拠点として重要な役割を担っています。また、加茂地区においては、近隣に山形県立加茂水産高等学校や山形県水産試験場が立地しており、山形県の海洋研究・海洋教育の拠点としての役割も担っています。このほか、山形県内唯一の水族館である鶴岡市立加茂水族館があり、世界一多くの種類の「くらげ」を展示する水族館として、県内外から多くの観光客が訪れ、にぎわいを見せています。

○港湾整備、海岸整備
 加茂港は、昭和27年に地域物流の拠点となる港として地方港湾に指定され、これにより国の補助による港湾整備に着手しました。昭和51年には、加茂水族館の北側に加茂緑地が完成し、昭和58年には700トン級船舶の接岸岸壁2バース(浜町岸壁)、昭和63年には防波堤(南)(第2)が完成しました。現在は、入港船舶の安全を確保するため、平成3年度から、沖合において防波堤(南)(第3)の整備に着手しています。

○海岸整備
 平成8年度には、地域の社会教育活動やマリンスポーツの場として活用を図るため、加茂水産高校に隣接する海岸線において、人工海浜の整備に着手し、平成14年の夏に加茂レインボービーチとして竣工しました。加茂レインボービーチは、夏季は海水浴場として利用される海浜公園で、人工の磯場と砂場があります。磯場での貝や海藻類の観察が人気ですが、はきものをはくなど怪我への注意が必要です。
 また、トイレ、シャワー棟を整備することにより、快適な海洋レジャースポットになりました。

(参考資料:山形県庄内総合支庁建設部港湾事務所発行「加茂港」)

加茂とその周辺よもやま話

【加茂の今昔】

 加茂は和銅年間(710年頃)能登からの移住によって開かれたと県史にある。武藤氏・酒井氏時代の海の出口である。西大廻航路の発達に伴い北前船の中継港・避難港・米・水の補給港となった。

さらに小廻り沿岸交易が盛んになる化政期以降は、米・酒の搬出や上方・北前、北国船による上り下り荷物、さらに最上内陸向け物資の中継、卸商港として加茂は栄えた。

代々の秋野家一族の尽力により港・加茂坂トンネル・道路改修も図られた。回船問屋・付船問屋十数軒ずつ並び、出船入船が輻湊した。100錬の土蔵が軒をつらね、酒造業者10軒、旅籠屋・遊郭もあった。明治12年の人口3,311人がピークで、寺も14ヶ寺あり有力富有者が多かった。

しかし、大正年鶴岡駅開設、大正13年羽越線開通後は海運が衰退し、商港としての役目は終り、漁港へと変っていった。

加茂は、本県機船手繰網の発祥地であり、北洋漁業基地である。明治末当時20歳代の菅原常治は県内初の発動機船を購入。誠喜丸・加茂丸で鮪・いか漁に出漁、また北陸方面から機船手繰網を導入、苦心して底曳の動力化に挑戦したものの、機械の故障多く大正9年破産してしまった。

大正年建造の県指導船月山丸(木造12トン、焼玉12馬力)は、エンジン直結の連動式揚網機を導入し本県初手繰網動力化に成功。これに習って加茂に機船手繰船が勃興し、大正12年頃は10隻をこす県内一の勢力となる。また六代尾形六郎兵衛は北洋漁業進出に成功、加茂は県内随一の漁港として、県水揚の半分を占めるに至った。

大正以降加茂の漁業全盛期で、測候所・輸出米検査所・県水試・造船所・水族館・港湾事務所・水産学校等があり、本県漁業の中心地として繁栄したが、戦後は酒田にその地位を譲っていった。


【金沢というところ】

 高館山の西方山麓で、宮沢と加茂の中間にある。海岸一帯は岩場で暗礁が多く、海藻が繁茂してよい釣場である。

 出雲国熊野村(島根県八束郡八雲村熊野)から7軒が移住してきたと伝えられている。地名の金沢は沢水に洗濯にいった村の女が金塊を発見したことに由来する。移住の縁故から元村の熊野大神を勧請して村の鎮守とした。金沢村は椙尾神社の御旅所であり、宮沢とともに祭礼時に魚を奉納していった。耕地が少なく全戸漁家という純漁村で、刺網・延縄漁で生活してきた。戦国時代尾浦城主武藤氏に鮭・鯛を献じたり、南方からの荷物輸送に従事した功績により鱈・鰈・蟹漁場を授与されたといわれ、古くからの漁村である。

金沢と今泉は磯場が多く海藻採取が盛んである。冬のイワノリ、夏のモヅク・テングサ・エゴ採りである。

 金沢と今泉は、日本海側の海女の北限の一つである。日本海側の最北は秋田県男鹿半島の畠の海士・海女であるが、庄内の金沢・今泉の海女漁も古くから行われてきた。

 素潜漁には日本各地でクグルとモグル、カツグとスムの系統があり、古事記や日本書紀の古代以前から知られている古い漁法である。本県ではクグル、クグリという裸潜水で、海女のテングサ採りであった。裸潜水漁は岩場海岸で、海藻・貝類の豊富な自然条件の日本海側各地でみられる。アワビ採取が中核で男女双方が採取するが、魚突きは男の海士で海女にはみられない。テングサ・エゴは海女が多い。

 昭和40年以降はテングサ不作で海女潜りはなくなり、現在は吹浦の男潜りでイワガキ採取が行われている。

※(出羽の海庄内浜「漁業史よもやま話」西長秀雄氏著より)

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