油戸漁港

【概要
・所在地:鶴岡市大字油戸
・種別:第種漁港(管理者:鶴岡市)
・漁港指定:昭和26年11月14
・関係漁協:山形県漁業協同組合加茂支所

【沿革

 本漁港は、地方港湾加茂港の南西約3kmの地点に位置し、子持鼻崎と鉄砲崎で湾を形成している天然型の良港である。背後に油戸炭鉱があったことから藩政時代は佐渡金山で精錬用に用いる粘結炭の搬出と、加茂港の副港として一般貨物の出入に利用されていたが、佐渡金山の閉山や加茂港の発展により、漁港としての位置付けとなった。
 平成14年度から漁港漁場機能高度化事業により、防波堤の改良を実施している。

油戸よもやま話

【油戸というところ】

荒倉山の北山麓に位置し、東南北の三方は山に囲まれ、西は小湾により海に面する。

部落の起源は不詳である。150年前天保月大火で一戸を除き焼失、村内西光寺所蔵の村の旧記由緒書全てを失い口碑も残らない。西方天神山の大宰府神社は南北朝後村上天皇の頃の創起というので、村の起源も六百数十年頃と考えられる。

幕末の弐郡詳記によると、免七つ九分余(税貢租)、家数32軒、往古より半農半漁とある。80年前の大正年で戸数52戸、船数48隻、加茂漁業組合員80名で全村殆ど漁業を営んでいる。鯛釣、延縄、鰈釣、刺網、鱈釣、鮫刺網、鰯刺網、烏賊釣、蜂目釣漁が主な漁業である。明治初年から毎年7~9月のヶ月間秋田県能代港に小鯛釣漁に出稼し、収益を上げていった明治29年の漁業生産額万円で加茂の倍の水揚。

庄内沿岸で離島飛島を除いて、油戸は最も陸路不便であった。南の由良、北の今泉・加茂に通じる海岸は断崖絶壁で漸く徒歩で往復するのみで、東は大山鶴岡に南は上郷に通ずる二道があったが、坂道で自動車も通じない状態であった。近年、地元民の熱望により改修が進んだが、大時化・暴風雨のときには、屡々風波、落石等により海岸道路が不通となっている。国道7号が地吹雪等の事故発生時には、バイパスとして重要な代替機能をもつことを再評価して、全面的改修が望まれる。


【油戸炭鉱について】

江戸時代から石炭のあることが知られており、村内を流れる油川・油戸の地名も、石炭に連なる油状物質との関連があるといわれている。

明治8年開坑。殖産興業策の明治政府は工部省鉱山油戸分局として官営採鉱。明治29年三菱鉱業に払下げられ、佐渡鉱山の精錬・発電用燃料に使った。海岸までトロッコ運搬、沖合の汽船まで小舟で積出した。今も地元では「しやどま(佐渡澗)」という。

大正初期年産6,0007,000トン、従業員200名。一時閉山されたが、戦後再開、昭和27年産額5万3,000トン、従業員500名。三菱は西目字竹の浦に事務所・社員住宅・小学校を設置。油戸の東に柚子沢トンネルを開通させ石炭を竹の浦へ運び、大山駅まで専用軌道で貨車輸送を行い、もう一社の富士興産では山越えの索道で水沢駅へ積出していた。坑道は海面下まで延び、採炭1トンに湧水量トンと条件が悪くなっていった。黒いダイヤとして戦後の産業復興の花形企業であった炭鉱も、エネルギー革命の波に洗われ昭和34年閉山80年の歴史を閉じた。

※(出羽の海庄内浜「漁業史よもやま話」西長秀雄氏著より)

港データ

港データ
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