由良漁港

【概要
・所在地:鶴岡市由良
・種別:第2種漁港(管理者:山形県)
・漁港指定:昭和26月10日
・関係漁協:山形県漁業協同組合由良支所

【沿革

本漁港は、鶴岡市沿岸のほぼ中間に位置し、漁港区域中央部に突き出た海抜70mの白山島が防波堤の役目を果たしているため、自然地形を生かして漁業の発展がめざましく、本県漁港の中で最も重要な位置付けにある。また、自然景観に優れ、付近の磯釣り場、東側の海水浴場及び背後の温泉とあわせ観光地としての賑わいをみせている地区でもある。
 昭和7年白山島に防波堤を築造し船溜まりとして利用していたが、その後、漁船増加と大型化により昭和27年から新港整備を行い、昭和33年に第2種漁港の指定を受けて以降は、沖合漁業及び沿岸漁業の中核港としての施設整備を行ってきた。平成6年度には「ふれあい整備計画」を策定し、平成14年度からは地域水産物供給基盤整備事業により、親水護岸の整備を行っている。

由良よもやま話

【由良というところ】

 ユラは揺りに通じ、波の激しい所、波浪が揺り上げられる海浜などをいい、近畿、中国、四国地方に分布する。

 出羽国庄内の由良は、丹波国(京都府)由良の浜に由来し、羽黒山開祖蜂子皇子が人尾乙女にあい上陸した時、従っていた舟人がこの地に住みついたと伝えられる。

 由良は荒倉山の南西、東に海岸丘陵、西は日本海、白山島が突出して2つの小湾を形成する。高さ72mの白山島にある白山神社は漁民の信仰が厚い。白山島で北の砂浜と、南の磯に分され遠浅で海面穏やか、フィッシングセンター・釣り桟橋・舟釣り・水上スキー等海洋レジャーが盛んである。

 平成年の「海の日」記念行事、日本の渚百選に選ばれた景勝地である。海に浮かぶ白山島と赤い橋・白い砂浜の眺望が美しく、日本海に沈む夕日の名所の名声が一層高くなった。

 背後の山々の緑濃く保養に適した漁村として、明治・大正頃から海水浴場として親しまれ、内陸の小学校の海浜学校で賑わった。昭和39年国道7号線が開通し、交通の便が良くなり、温泉も掘削され、旅館ホテル、民宿20軒で年間入込客数30万人の観光地である。

 

【由良の昔の漁業】

 由良は庄内藩時代、山浜通由良組に属し近隣14村の大庄屋和田家の所在地。元和年村高760石。幕末では戸数124軒。明治29153戸のうち漁家150戸。大正5年193軒。豊浦漁業組合員106名、船数168隻。

 県漁業誌では、庄内沿岸漁村中漁獲高由良に比肩すべきものなく、海面を縦横に遠距離の地に至り、競争して漁業をなし、何れも大胆不敵なりて由良漁夫に勝るもの無からんと書き、小波渡・小岩川と由良を当時の漁業先進地であると称賛する。

 西田川水産誌には、由良は1,300年前より漁業を営み、400年前、慶長年間には鱈配縄・鮫刺網・鮭刺網・手繰網及磯漁を営んだと記し、時代の進展とともに漁具漁法改良を加え鯛配縄・小鯛配縄・雑魚刺網と営むに至る。弘化年(1846年)鱒・鯔台網を開始。明治39年に二ヶ統に統合規模拡大し共同事業として成績頗る良好なりとある。鱒角網、鰯搾粕製造を共同事業として実施し漁民に配当と記す。

沖漁の開始は小波渡に比べて遅かったが、由良漁民は北は飽海・南は越後瀬波・佐渡の東海まで足跡至らざるところ無しと、進取に富んだ漁撈技術を賞している。

由良には歴代秀れた指導者が表われ、部落経営や漁業をリードした。

※(出羽の海庄内浜「漁業史よもやま話」西長秀雄氏著より)


由良漁港データ

港データ
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