三瀬漁港とその文化と歴史

 【概要
・所在地:鶴岡市三瀬
・種別:第種漁港(管理者:鶴岡市)
・漁港指定:昭和27年12月29日
・関係漁協:山形県漁業協同組合豊浦支所

【沿革

 本漁港は、鶴岡市の南西部に位置し、、鯵ヶ崎と立岩の間の岩礁海岸にある漁港である。
 大正7年に岩盤を掘削し泊地を整備し、昭和8年~昭和9年に防波堤と船揚場の整備を行った。昭和53年度~昭和54年度及び平成6年度~平成8年度には防波堤等の整備を実施、その後、国道7号線の改良に伴う若干の施設変更を経て現在に至っている。

三瀬よもやま話

【三瀬というところ】

 八森山の北麓、三瀬川左岸に発達した宿駅集落である。南方藤倉山より発する降矢川、水無川、西川の三川合流点に位置するところ、「三ツの瀬」三瀬となったという。

 部落の起源は第10代崇神天皇の御代三世紀前半、四道将軍大彦命が秋田に至る途中三瀬に宿泊されたと伝えられ、非常に古く開かれたという。

義経記には、源義経主従奥州下りの折、大雨のため三瀬薬師堂に日逗留したと記されている。南方の笠取峠を下って藤太坂をおりたところが三瀬の街で、右岸の気比神社付近から縄文・弥生・平安期などの遺物が出土している。気比神社は丹波国から移住した人々が越前敦賀の気比神宮から勧請したといわれ、農業と武の神を祭る社として信仰を集め、特に歴代庄内藩主の尊崇が厚かった。一帯は気比台の森として神聖な森として保護され、原生の姿を残し国指定天然記念物となっている。


【昔の三瀬】

 江戸時代三瀬は、越後と鶴岡・大山・酒田・秋田を結ぶ浜街道の宿駅として賑わい、旅籠屋軒と茶屋もあり、本陣軒と高札場、街の東西に木戸があった。文化12年伝馬数約40。西に笠取峠、東に山賊峠といわれた矢引峠の難所があり、旅人が難儀したという。

 小波渡・堅苔沢両村は鶴岡城下両肴町の仕入浜であり、三瀬の馬組が輸送に当り三瀬経由で肴問屋に売っていた。

 また加茂に薪炭を運ぶ小廻船が30艘位あった。昔の三瀬の漁業は振わず僅かに磯漁を営む者が数軒のみで、林産・耕作に適し、稲作収入が割をこえていた。

※(出羽の海庄内浜「漁業史よもやま話」西長秀雄氏著より)


三瀬漁港データ

港データ
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